ついに始まった

待たせてしまってすみません。

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10日は、期待と緊張が混じった入学式でした。

同じ小学校だった友達が2人いました(ちょっと教室が離れてる)

9時過ぎ、曖昧な笑みを浮かべながら入場した時の「会場の匂い」も覚えています。自由の森の入学式は「形式にとらわれず在校生が新入生のためにゼロからつくる入学式」ということで、かなり独特なものでした。

天気が心配だったものの、なんとか昼過ぎまでもってくれました(お母さんが保護者会から帰るタイミングがピークだったみたい…なんだかかわいそう)

宝石のように輝く2年11か月になることを心から願っています。そして、

2026年4月12日(日)

試着大会と鶏肉のトマト煮

4日は先月29日と同様、ボケボケ→バタバタの1日でした。

朝起きたのが遅すぎてお昼抜きになってしまいました…入学式が近いのにこんなんでいいのか…

まずは29日に買ったやつの試着(仮合わせ)大会を決行。

チェックにチェックを重ねてしまう(上も下もチェック)と全身が騒がしくなってしまうからやめたほうがいいと親に言われました(見た感じ変ではないんだけど、たしかに全身が騒がしくなっていた)

新しい服はボコボコ鳴るけど集中力を削がれるような音ではありません。これはこれで受け入れます。

夕飯は親と話し合い、電磁調理器で鶏肉のトマト煮を作ることにしました。

専用アプリのレシピをスクショして、それを見ながらものを買い足し、帰ったらケチャップやらオリーブオイルやらを混ぜてタレを作り、鶏肉とトマトとタレを中身を調理器に入れてスイッチON!

【作り方】

1.Aを混ぜ合わせてタレを作る。

2.鶏肉とトマトとタレを調理器に入れ、羽根をセットする(羽根がないと混ぜられず、焼きむらやコゲの原因になる)

3.スタートボタンを押す。

4.完成!

美味しくできてよかったです。簡単すぎてつまらなかったけど、疲れ果ててヘトヘトの時は1人でも作れると思います。

2026年4月8日(水)

当たり前が幸せと知った日のこと Part1

最近ネタがなくなってきたので、自分の体験を書きたいと思います。

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今から約6年前、いつもの日常が突然どこかへ消えてしまいました。

2月の終わりに、当時小学校3年1組の担任だったG先生から突然「学校が終わる」と告げられ、たくさんの写真が入ったスライドが流され、涙を流しながら校門を出たあの日のことを、今でも鮮明に覚えています。

2020年、孤独な春の幕開けです。

学校にも行けず、学童にも行けず、やることもなく、毎日おじいちゃんの家に通いました。

ニュースから流れてくるのは、コロナの話題ばかり。

今日の新規感染者数過去最多”

○○人が死亡”

“▲▲で集団感染

見ているだけで息が苦しくなるような言葉が痛いほど飛び交いました。

さらに、4月には緊急事態宣言が出され、外出の自粛が呼びかけられました(~5月25日)

(それでもサイクリングには行ったが、遠出は一切できなかった)

家に閉じこもり、ぼーっとしているだけの日々が続きました。

6月、分散登校という形で学校が再開(7月に通常登校再開)

しかし、これが「本当の意味での」地獄の始まりでした。

〜Part2に続く〜

2026年4月5日(日)

若葉の季節

ボーっとしているうちに5日経ってしまいました。ここ最近システムに不具合があり更新できませんでした。本当にごめんなさい。

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自然な笑いが生まれるようなちょっと面白いお話をして新年度を迎えたいと思っていたその時、

軋むような音の後に、押されたり引っ張られたりするような横揺れに襲われました。

その後、テレビから警報が鳴り、SIMカードを抜いた古いスマホやサポートが切れたタブレットの大合唱が始まりました。

最大震度は5弱(立っているのが怖いレベル)。日高市は震度1(屋内にいる人の一部が揺れを感じるレベル)で、震源は茨城県でした。

突然襲ってきた揺れに怖くなった俺は、机の下に逃げ込みました。

1日は19時から塾で、早めの夕飯を食べた後に塾へ向かいました。

年度が変わり、月曜日と金曜日の21時という最悪の時間帯からずらしてもらい、生活の自由度が少しだけ上がった気がします。

これからは高校生という自覚を忘れずに、確実に前に進んでいきたいです。

2026年4月5日(日)

月曜日のこと

電車で1時間ぐらいの所に異動が決まったお母さん。

朝起きると、お母さんの姿はありませんでした。

布団に潜って午前を過ごし、お昼は牛丼の具をご飯にかけておいしくいただきました(賞味期限が怪しかったけど冷凍していたからか大丈夫だった)

食べた後は洗い物。我が家のために何かしてやっていると思うと、なんだか爽やかな気持ちになります(自立・貢献)

ボーっと過ごした1日…これは問題アリ???(焦る必要はないかもしれないけど放置したらまずい。遅くとも入学式の前には解決しないといけない)

夜8時からは通常授業。4月以降は月曜日と金曜日だったのを火曜日と水曜日に移してもらったので、月曜日の通常授業はこれが最後でした。

自習とか夏期講習でもない限り、月曜日に塾に来ることはもうありません。

先生が同じ部屋にいた他の先生と話をしていて集中できなかったです(笑)

いろいろあった2025年度が終わりました。

これからは高校生、気持ちを切り替えて一日一日を大切に過ごしたいと思います。

2026年4月1日(水)

これは問題アリかも

昨日は早々に寝てしまい更新できませんでした。ごめんなさい。

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最近は雨の日が多いですね…たまにはちょっと運動したいのに。

日差しがなく部屋の空気もひんやりしていて、朝起きるのが辛かったです。

そしてこれはすごく恥ずかしいんですが、次の進路先に向けての準備の期間だとわかっていながら、ずっとテレビを見ていました(洗濯物たたみと洗い物はした)

確かに3月中は3年間(9年間)の疲れを癒すための期間なのかもしれないけど、4月1日になってから生活態度が改まるかと言われると違う気もする……うーん、どうなのかな∵

入学前の宿題に追われている人がいると思うと、今の自分の生活態度に疑問が…

こういう生活を送っていても何のメリットもないのはわかりきったことだけど、それを改善できない自分はあまりにも無力です…

春休みに入ってからずっとこの調子なのでそろそろヤバいかもです(かもじゃない)

宿題が1つ増えてしまったかもしれません。

2026年3月27日(金)

制服とお別れ

今日は、相棒だった制服をリユースに出してきました。

予定が入っていたので、早めに家を出て、先にリユースに出してから行きました。

校門を入ったところはいつも以上に静かで、人の気配もありませんでした。制服を回収する箱が見つからなくて探してしまいました。

午前と午後の2回回収をしているのか、箱の中は空っぽでした。

2年11か月の間着た制服を箱にそっと入れ、蓋を閉めた瞬間、もう二度とここには来ないんだという実感が湧きました。

これからは高崎で買ったスーツにバトンタッチです。自森は制服がないから制服の代わりにと思い、合格の報告に行ったついでに買いました(制服というよりはイベントか何かの時に着る標準服か?)

近いうちに試着をしたいと思うので、その時は写真を撮って載せたいと思います。お披露目みたいな感じです。

砂ぼこりを浴びながら戦い抜いた中学校生活が終わって11日、みんなに会えない寂しさとみんながいつもそばにいる安心感が混ざり合った、複雑な気持ちです。

2026年3月24日(火)

みんなのいない(本当はいる)時間

卒業式を終えて、初めての平日を迎えました。どんよりした朝でした。

正直に言って、寂しかったです。

先週まで毎日聞こえていた友達の声が聞こえてこない。

学級委員の元気な号令が聞こえてこない。

先生のお話が聞こえてこない。

今までの日常はどこへ消えてしまったのだろう…

もしこうやってみんなとつながっていなかったら、もっと寂しかったと思います。

ブログを書き始めてから1週間、みんなと直接会うことはできないけれど、みんなはつながっています。みんながそばにいる安心がここにあります。

高校生活は完全に未知の領域です。ずっと同じ道を歩んできた83人で、一緒に高校生活のスタートを切りたいと思います。

dig

▲宿泊学習の下見で行った美濃山山頂の時計台

 結局宿泊学習当日に行くことはなかった

2026年3月16日(月)

卒業式を終えて

共に過ごした2年11か月が終わりました。

ピカピカの制服に身を包んで校門をくぐったのがつい最近のことのように感じます。

楽しかった時間は走るように過ぎていきました。

袴姿の先生、朝の会で配られた「おめでとう」と書かれた飾り、体育館の灰色の壁=いつもの日常を覆い隠すかのようにかけられた紅白幕、ステージに等間隔に並べられた花、そして響き渡るBGM…

普段の学校生活では絶対に見ることのない景色に終わりを実感させられました。

…もうこのメンバーで集まることはない

…もうこの制服を着ることはない

言葉で表せないような気持ちになりました。

クラスルームにメッセージを書いたのでぜひ見てください。

クラスルームを開いて、クラスコード入力欄にクラスコードを貼り付けると入れます。

クラスコード:rbatzvew

下のリンクを押すとクラスルームのトップページに飛びます

https://classroom.google.com

これからもブログは続けるので安心してください。

明日はお出かけに行くかもしれないので更新できるかわかりません。

2026年3月13日(金)

節目の年

しつこいほど聞いているかもしれないけれど、今日で東日本大震災から15年です。

震災が起きたときは生後2か月だったので全く覚えていないけれど、親からはこう聞いています。

震災当時に何をしていたかは覚えていないが、病室にいた。

最初は横に押されたり引っ張られたりするような感じがして、それから病室の中の機器類がひとりでに動くほどの凄まじい揺れに変わった。

地震の影響で停電が起き、エレベーターが動かなくなった。

病院内は混乱に陥り、下の売店からは商品が消え、夕飯もまともに食べられず、ひもじい思いで一夜を明かした。看護師さんも交代相手が来ず大変そうだった。

病院のテレビから流れてくる津波の映像を見ていることしかできなかった。

手術したのが震災前で本当によかった。だが、これは運でしかない。偶然でしかない大変な思いをしている人のことが本当にかわいそう。

家では棚から物が落ちる、家具が倒れる、ドアが開かなくなるなどの被害はありませんでした。

小5だったかなぁ?の時に「あの経験したことのない大災害に無関心ではいられない、無関心でいてはいけないと思い、地震発生時のことを聞きました。

▼昨日動画を見た階上(はしかみ)中学校の答辞(一部)

震災から十日。この十日間は、つらく、悔しく、やりきれない日々でした。

3月11日。あの日、私たちは卒業式の練習の真っ最中に、想像を絶する大きな揺れに襲われました。教室に戻ることは許されず、津波が校舎を襲い、私たちが過ごした思い出の場所はすべて消えてしまいました。

(中略)

つらくて、悔しくてたまりません。しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの私たちの使命です。

(中略)

支えてくださった皆様、本当にありがとうございました。

最後に、愛する階上(はしかみ)中学校、私たちの思い出の場所は、いつまでも心の中にあります。

最後に、本当に、本当に、ありがとうございました。

※全文を見たい場合は、「階上中学校 答辞 全文」と検索してください。

あと2日、何もないことを祈ることしかできません。我々に課されたミッションは「当たり前」に対する感謝の気持ちを忘れずに、今という今をかみしめて自分の進むべき道を進んでいくことなのかなと思います。

2026年3月11日(水)