節目の年

しつこいほど聞いているかもしれないけれど、今日で東日本大震災から15年です。

震災が起きたときは生後2か月だったので全く覚えていないけれど、親からはこう聞いています。

震災当時に何をしていたかは覚えていないが、病室にいた。

最初は横に押されたり引っ張られたりするような感じがして、それから病室の中の機器類がひとりでに動くほどの凄まじい揺れに変わった。

地震の影響で停電が起き、エレベーターが動かなくなった。

病院内は混乱に陥り、下の売店からは商品が消え、夕飯もまともに食べられず、ひもじい思いで一夜を明かした。看護師さんも交代相手が来ず大変そうだった。

病院のテレビから流れてくる津波の映像を見ていることしかできなかった。

手術したのが震災前で本当によかった。だが、これは運でしかない。偶然でしかない大変な思いをしている人のことが本当にかわいそう。

家では棚から物が落ちる、家具が倒れる、ドアが開かなくなるなどの被害はありませんでした。

小5だったかなぁ?の時に「あの経験したことのない大災害に無関心ではいられない、無関心でいてはいけないと思い、地震発生時のことを聞きました。

▼昨日動画を見た階上(はしかみ)中学校の答辞(一部)

震災から十日。この十日間は、つらく、悔しく、やりきれない日々でした。

3月11日。あの日、私たちは卒業式の練習の真っ最中に、想像を絶する大きな揺れに襲われました。教室に戻ることは許されず、津波が校舎を襲い、私たちが過ごした思い出の場所はすべて消えてしまいました。

(中略)

つらくて、悔しくてたまりません。しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの私たちの使命です。

(中略)

支えてくださった皆様、本当にありがとうございました。

最後に、愛する階上(はしかみ)中学校、私たちの思い出の場所は、いつまでも心の中にあります。

最後に、本当に、本当に、ありがとうございました。

※全文を見たい場合は、「階上中学校 答辞 全文」と検索してください。

あと2日、何もないことを祈ることしかできません。我々に課されたミッションは「当たり前」に対する感謝の気持ちを忘れずに、今という今をかみしめて自分の進むべき道を進んでいくことなのかなと思います。

2026年3月11日(水)

卒業式まであと3日

予行前日、良くも悪くも普通の1日でした。

今日の練習の後、「当日に備えて今は60~70%ぐらいで歌った」という声が聞こえてきました。

しかし、TJ先生ならこう言うと思います。

今全力でやらなかったら当日歌えるはずがないし、歌えたとしても骨の髄まで染み渡ってこないだろう。

練習で力尽きて当日声が出せないということはまずない。普段が出るだけ。練習から全力でやれ。自信がないなら、自主練をしてこい。

▲目安だけど、これぐらいは出してもいいんじゃないかな。

当時の動きがまだ完璧には覚えられていないので、確認しておきたいと思います。

もうすぐ中学校生活が終わります。目の前のことから逃げずに、最後の思い出を作っていきたいと思います。

2026年3月10日(火)

このホームページを通じてみんなとつながるということ

みんなとおしゃべりしたり、笑いあったり、気持ちを共有しあったり…

そういうことができるのも今週限り… 寂しくてなりません。

卒業後も、このホームページを通じてみんなとつながれたらいいなと思ってホームページを作り、4月12日まで毎日ブログを書くことにしました(それ以降は週3更新)

でも「群青」や「旅立ちの日に」を聞いたり歌ったりしていると、卒業後にこういう形で仲間と連絡を取り合って友達のように接するのは違うのかなと思うことはあります。

そう思うことはあるけれど、みんなと離れ離れになるのは嫌なので、みんなとつながるための手段としてこのホームページを使っていきたいと思います。

今後こんな感じでブログを書いていきます。思い出に浸りたいとき、余裕があるとき、つらいときに見てください。

◆システムに不具合が起きていた関係で更新が遅れました。すみません。

2026年3月9日(月)